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◆◆◆INFORMATION◆◆◆
Dance Asia Kick Off Program
Encounter:
ジェコ・シオンポと
ディック・ウォン


上演・トーク
9月19日〜21日

WS
9月16日〜17日

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エッセイ:横堀ふみ「滞在記:シンガポール、バンコク編」

(Dance Asia ニュースレター vol.013より転載)

 今はアメリカ、ニューヨークにいる。今回の旅の最終地点となる。一昨日着いたばかりなので、地理・生活感覚がまだよく掴めていない。

 さて、今回はアジアでの旅の最終章、シンガポールとバンコクの状況をレポートしたい。
 シンガポールへは、クアラルンプールからバスの乗って僅か五時間ほどで到着だ。多くの旅行会社が一日に何本ものバスを運行している。とても便利で快適だった。

 日本から持っていった東南アジア全般をカバーしたガイドブックを、どこかに置き忘れてきたらしい。出発直前に、バスの中で読もうと探しのだが見当たらず、これは困った。宿泊先のめどは若干つけて行ったつもりだが、土地勘もないまま入国。そして何軒かのホテルにあたったが、その高さに卒倒。まずはビジネスホテルに滞在し、ネットサーフィンしながら、安い物件を探す。(事前に予約しなさい!という話ですね、はい。)最終的にはアラブ・ストリートにあるゲストハウスに腰を据えることに。ドミトリーだったが、「住めば都」とはこのことで、同部屋の人達と他愛のない話ができて楽しかった。

 ここは、主要な美術館、劇場やアートセンターが街の中心地に集まっており、短時間で、ぐるっと歩いて見て廻ることができる。その中でも印象的だったスペースを三つ挙げたい。

●The Necessary Stage Theatre
シンガポールの中心地からバスに乗って30分程。マリン・パレード・コミュニティ・ビルディングの一角に、劇団The Necessary Stageの根城である小さな劇場がある。手頃な大きさのスペースで、稽古時には客席を省スペースでしまうことができたりと、使い勝手がよくなる工夫が随所に施されていて、居心地がいいブラック・ボックスだった。ここは、作品制作に集中する為の場所で、本公演はシンガポールの中心地にある劇場で行うとのこと。土地代の高いシンガポールは、日本と同じく稽古場状況が大変な模様。

●72-13
シアターワークスを率いるオンケンセンのスペースである。ここは真っ白に塗られている。ギャラリースペースと劇場(オルタナティブ・スペース)の二部屋がある。劇場の方は、長方形の余計なものが何一つない広く大きな空間。客席や舞台は、作品の内容によって自由に組み替えていく。ここは作品の構想を明確にし、戦略を周到に持っていないと使いこなせない印象。なかなか手強い空間であると感じた。

●The Substation
シンガポールの演劇界の父、クオパオクンが創設したアートセンターである。100席程の劇場と、スタジオ、ギャラリーが併設されている。どの部屋もとても丁寧に手入れが施されて、使う人々、スタッフの場所への愛情をひしひしと感じる。エスプラナードという大劇場、中劇場を兼ね揃えたセンターが近くにあるので、このスペースではトレーニング/プロセス/実験的な試みに力を入れている。

 今回の滞在ではどの空間でも実際の公演に立ち会うことができなかった。本当に残念。

 次は、バンコクに移動。旅の疲れが出てきたことと、滞在が一週間しかなく、あまり見て廻ることができなかったが、二つのスペースを挙げてみる。

●Crescent Moon Theatre
ビルの一角にある小さな劇場。60名も入れば、もう満席以上である。始めは劇団の事務所であったスペースを、今やパソコンがありインターネットが繋がれば、自分たちの為のスペースに作り替える方がいいのでは、ということで、改築を繰り返しながら現在に至っている。 大きな上演を一度行うより、よりたくさんの上演を実践しようということで、数多くの実験が繰り返されてきている。

●Pichet Klunchun Dance Studio
ここでも度々取り上げているピチェ・クランチェンのスタジオである。バンコクから車で30分ぐらいだろうか。ピチェの自宅に併設されている。二年前の夏にいちどお邪魔したが、そこからさらに様変わりしている。一階の稽古場の天井がぶち抜かれて、吹き抜けの空間になっている。居心地よく集中しやすい空間になるよう配置された様々なもの。この空間から、さらに力強い作品が生み出されていくことと思う。

 作品や表現が生まれ出る場所を中心に、アジア五カ国を巡った旅。
 次はニューヨークにある様々な場所を訪ね、レポートできたらと思っている。

(「Dance Asia ニュースレター」は月二回、1日と15日にメールで発行しています。購読ご希望の方は danceasia@gmail.com まで、件名を「ニュースレター配信希望」とした上で、お名前、ご職業・ご所属、メールアドレスを明記の上、お申し込みください。なお個人情報は、このニュースレターを送付する以外の目的には使用いたしません)


エッセイ:横堀ふみ「滞在記:マレーシア、クアラルンプール編」

(Dance Asia ニュースレター vol.011より転載)

 旅の最終地点に入った。

 現在はバンコクにいる。ここでもご飯がとても美味しい。胃があと二つほど必要だ。どの地でも去る時には、あの人に会えなかった、あそこに行けなかった、と悔やみながら発つのだが、ご飯に対する名残惜しさも果てしなく…。いずれ「ご飯ランキング」を作ってみようと思う。

 さて、クアラルンプールでの滞在が、前回のレポートで書いたように2週間を越えるものとなった。その後、シンガポールに1週間。その後、2日間だけ再びクアラルンプールに戻り、現在のバンコクに至る。この間、多くの関係者に会い、様々な話しを聞くことができた。まだそれらの話しを自分の体に落として咀嚼する時間が持てておらず、それは帰国してからじっくり行いたいと思っているので、ここでは印象的だったことを挙げてみたい。

 市内から離れたところにある「Rimbun Dahan http://www.rimbundahan.org/」というスタジオ、ギャラリー、レジデント施設を備えたセンターを訪れた。ちょうど私が行った時には、12月中旬に行われる公演の稽古の真っ最中。オーストラリアから振付家がレジデントし、現地のダンサーやパフォーマーが参加するというもの。公演直前ということもあり、緊迫感あふれる稽古場。稽古は、毎日のように朝から晩までみっちりと行われていた模様。多くの小道具や吊り物を使用する作品で、それらとダンスとの関わりを綿密に詰めていた。稽古場を転々としないといけない状況だと、この作品は成立し難かっただろう。このセンターは広大な敷地内にあり、稽古場のまわりには広場、ため池、プールなど、魅力的な空間が広がっている。ディレクターのビルキスは、来年はこの敷地内の様々な場所を存分につかったイベントを企画しているとのこと。とてもゴージャスなスペースであった。

 次は市内にある「Annexe Gallery http://www.annexegallery.com/」。もともとはオフィスだったスペースを複数のギャラリーに改造したスペース。天井は高く開放的な雰囲気をもちつつ、適度の緊張感が心地よい。ここの特徴は、美術の展示を行うだけでなく、映画の上映や、ワークショップ、ダンス公演も行われることもある。私は二度訪れているが、一度目はTV等のメディアに従事するディレクターのためのワークショップが行われていて、二度目は舞踏のレクチャー。桂勘さんによる英語での明解なトークだった。(勉強になりました)と、様々な表現や試みが、ここで交差している。マニラにある「Green papaya Arts Project(前回レポート)」もそうだったが、こういった多様な表現や出来事が同時に発生しているスペースには、面白い人が集まってくる。そして「facebook(mixiのインターナショナル版)」を介して、送られてくるイベント情報はどれも興味深く、目が離せない。

 ここで実感したことは、「こんなこと試してみたいねんけど…。」「本公演前に試作を上演してみたいねんけど…。」といった、試してみたい・やってみたいと思った時に、数多くの手続き、目眩がするような予算書なくして挑戦できる空間も大事だなぁということ。ここでは手厚くまた優しいケアは必要なく、自身で思考し・実践できる場所であること。それが、時には未知数100%の地点から可能性を引き出し、表現者やそれに従事する者を勇気づける。

 マレーシアの次にはシンガポール。バスでたったの5時間で移動できる。さてはて着いたところで宿泊費の高さに泣いた、シンガポールでの状況を次のレポートで書けたらと思っている。

 クアラルンプールでは、国際交流基金の島田さん、ジャーナリストのフレッドには、アテンドから様々な面においてお世話になりました。ありがとうございました。

(「Dance Asia ニュースレター」は月二回、1日と15日にメールで発行しています。購読ご希望の方は danceasia@gmail.com まで、件名を「ニュースレター配信希望」とした上で、お名前、ご職業・ご所属、メールアドレスを明記の上、お申し込みください。なお個人情報は、このニュースレターを送付する以外の目的には使用いたしません)


エッセイ:横堀ふみ「滞在記:フィリピン、マニラ編」

(Dance Asia ニュースレター vol.010より転載)

 今回の旅も後半戦に入った。あっという間である。

 現在、クアラルンプールに滞在中。当初の予定では、バンコクにいるはずだったのが、空港占拠と重なり、急遽、旅程変更。まさしく現在に開催されている「バンコクシアターフェスティバル」に参加することが主な目的だったので残念ではあるが、ここクアラルンプールで今後さらに発展させていきたい出会いが重なり、心弾む日々を過ごしている。

 さて、二週間前に滞在していたマニラ。約一週間だけであったが、濃厚な時間を過ごすことができた。マニラの前のインドネシア、香港、それらとはまた異なった様相を示すコンテンポラリーダンス・シーン。もっとも強く感じたのは、マニラでコンテンポラリーな表現とは「Be Independent」であることだ。表現のスタイルや様式ではなく、表現者としての姿勢や意志を示すものとして理解している。個々の表現を自らの手で生み出すことを大切にしつつも、振付家・ダンサー同士が相互に手を取りあいながら、シーンを引っぱっていっている模様。つねに様々な問題や要望を抱えながらも、前に向かっている強い力を感じた。

 今回、とくにお世話になったのが、振付家・ダンサーのドナ・ミランダ。昨夏のバンコクで行われたフェスティバル「Live Arts Bangkok」にて出会ってから、昨冬に京都で再会と、少しずつ親交を重ねて来た。彼女は、パートナーとともに、「Green Papaya Art Projects」というギャラリーとオルタナティブ・スペース、カフェを兼ね揃えたスペースをオーガナイズしている(http://papayapost.blogspot.com/)。ここでは、ビジュアルアート、ダンスなど様々なジャンルの催しが行われている、まさしく交差点のような場所。私の滞在期間中には、『想像の共同体』の著者であるベネディクト・アンダーソンの来フィリピンを記念するパーティが行われていた。来場者は、ダンス関係者、ビジュアルアート関係者、フィルム・アーティストなど多数が集まり、スペースから人が溢れんばかり。「Green Papaya Art Projects」を象徴するようなイベントであった。

 再びすぐにでも訪れたいマニラ。来年の7月か8月には、シーンをあげてのダンス・フェスティバルが開催される予定だと聞いている。ここには是が非でも駆けつけたいところ。

 そうそう、ここで出会った中でもっとも興味深かった振付家ジェイ・クルーズ。彼も私と同じACCグラントを頂いている。ほぼ同じ時期にN.Y.に滞在するので、今から楽しみで仕方がない。

 次のレポートでは、クアラルンプールでの出来事をお届けしたい。

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エッセイ:横堀ふみ「滞在記:インドネシア編」

(Dance Asia ニュースレター vol.009より転載)

 ACC(Asian Cultural Council)のフェローシップを頂いて、アジアを各地をめぐる旅、現在はマニラに滞在中である。
 今回の旅は、過去にNPO法人 DANCE BOX のプログラムに招聘したダンサー達が道しるべだ。実際に彼らのホームグラウンドを訪れ、稽古場、時には公演にお邪魔し、そして数珠つなぎのように友人(関係者)を紹介してもらい、彼らの話に耳を傾ける。
 大阪で出会った彼らのダンスの、その土壌が見え、次に彼らの尊敬する人々、同士、友人らの数々のつながりに出会い、その中から表現が立ち上がっていく、そのダイナミックな連鎖を目の当たりにする至福な時間が続いている。

 断片的ではあるが、Dance Asia でこの夏に招聘したジェコ・シオンポ、そして DANCE BOX で過去二回招聘しているエコ・スプリアントをめぐって、少し書き記したい。

* ジェコ・シオンポ
 ジェコに会いたいと思えば、ジャカルタの中心にほど近い、IKJ(インドネシア芸術大学)が入っているTIM(タマン・イスマイル・マルズキ)の一角のカフェに行けばいい。
ジェコは始終そこに居座り、仲間たち、いや彼のカンパニーのメンバーとたわいのない話しをしているかと思えば、まじめにダンス談義をしたりしている。夜になれば、道端で、時には大学のリハーサル室で稽古している。
 彼のカンパニーのメンバーは、パプア出身の人もいれば、生粋のジャカルタっ子、様々な地方や島から集まってきている。貧しい人も富んでいる人も、みな一様に稽古をしている。ここでは大阪であまり見ることのなかったジェコの親分肌に驚いた。とても懐深く、さりげなくメンバーの面倒を見ながら、まだ若いメンバーが自分の足で人生を歩いていけるよう、多くの機会を与えている。
 メンバーはそれぞれにギラギラしていて、ジェコのスタイルを踏襲していながらも、自分が一番かっこよく見えるダンスを日々追求、ここは動物園ではないかと思う程、強い個性をもったダンサー達の集まりであった。

* エコ・スプリヤント
 彼は古都ソロを拠点とし、古典宮廷舞踊をルーツにもち、コンテンポラリーダンスに取り組んでいるダンサーだ。彼はソロにあるISI(芸術大学)で教鞭をとり、自らのカンパニーを動かしている。そのメンバーの多くはISIの現役生か卒業生で、彼らのほとんどがエコと同じく古典舞踊をルーツにもっている。
 彼らは自身のルーツをとても大切にしていて、彼らにとってのそのルーツとは、回帰する場所であり、ここからなんでも作り出せる始まりの場所であるように感じる。ここでは、古典も、同時にコンテンポラリーでもあるのだ。
 またソロには、魅力的な振付家やダンサーが多い。その印象は、余計なものが削ぎ落とされた非常にシンプルな振付で構成されている。ただ、飽きることなく見続けていられるのは、古典舞踊がもっている豊かな振付言語に培われた身体があるからだろうかと思う。

 ジャカルタにしろ、ソロにしろ、芸術大学の存在がとても大きく感じる。ジェコをはじめ、大学内で遅くまで稽古をしていて、門限はないようだ。大学内に劇場があるので、そこを使って自分の作品を上演したり、とても自由度高く大学の施設をフル活用しているように見受けられる。そして、仲間や先輩がいることだ。

 次は、マニラのレポートをお届けしたい。

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エッセイ:武藤大祐 「商品と文化――韓国のダンスについて考えたこと」

(Dance Asia ニュースレター vol.008より転載)

ソウル国際ダンス・フェスティヴァルの一部として開催された「ソウル・パフォーミングアーツ批評家フォーラム(SPAC - Seoul Performing Arts Critics Forum)2008」に、日本からの参加者として出席してきた。他の参加者は、Rosita Boisseau(フランス)、Thomas Hahn(ドイツ/フランス)、Donald Hutera(イギリス)、Jiang Dong(中国)、Kim Tae-won(韓国)、Philipa Rothfield(オーストラリア)、Merav Yudilovitch(イスラエル)ほか。自分だけあからさまに若輩者で場違いな感じもしたが、特に Boisseau はル・モンドなどの記事でたまに読んでいたし、会えて嬉しかった。SPACはCID-UNESCOの韓国センターの主催によるもので、今回が初開催。五日間の日程は、フォーラムやショーケースのほか、韓国の伝統芸能を実体験したり、教育機関の見学など多彩なプログラムが満載だった。

韓国は今回が初めてで、知っているつもりで案外知らなかったこと、意外に日本と共通していること、そして似ているだけにかえって細かな違いが際立つことなど、異文化経験を味わった。とりわけ仏教のお寺などは、いわゆる観光客向けのツアーだったので、ヨーロッパ人にはともかく自分にはつまらないだろうと思っていたが、同行していた文化振興の専門家から「むかし奈良に旅行した時、百済の時代の文化が残っているのを見て本当に感動したよ」という話を聞いた瞬間、何か違った視野が広がってくる気がした。日本と朝鮮半島の交流史の関係については小中高の義務教育で教わるが、無味乾燥な「情報」に過ぎず、暗記して試験で点をとればあとは自分に何の関係もなかった。修学旅行で京都や奈良に連れて行かれたところで、いたずらに見慣れてしまうだけで、かえって感覚が鈍麻するばかりだ。それが突然、自分にとってのリアリティとして立ち現れてきた。今までと違った角度から現実を見る一つの手がかり。これだけでも今回来た甲斐があったと思った。東アジアの文化史に造詣の深い中国の Jiang Dong と一緒に見て回れたことも大きかった。

他方、ショーケースでは8組の上演があった。コンテンポラリー作品は、今まで日本で見ていたものに比べてダンサーの数が多く、規模が大きかったが、作品自体はそれほど違わないように思った。しかし数日間、韓国で過ごし、韓国の人々と接していたために、自分のものの見方の方が変化していた。ほとんど「無邪気」とでもいいたくなるほどのテクニック信仰、衒いもなく最大限に発揮される肉体的エネルギー、きわめてわかりやすく誇張された演出などといったものも、ある特定の環境の中で(社会や文化、歴史、人々の気質、食生活、教育、メディアなどとの連関の中で)生み出され、受容されているものとして違和感なく受け止めることができた。こうした作品だけを文脈から切り離して東京の舞台などにかければ「浮いて」しまうことも当然に思える。コンテンポラリーダンスには言葉の壁がない、とまことしやかに言われるけれども、それだけになおさら、グローバルな流通の過程で見えにくくなったり、切り捨てられてしまう要素、すなわち文化的差異やローカルな文脈といったものに対して、われわれはもっともっと関心をもつべきだろう。たとえ世界中が均質化しているように見えたとしても、そこにもやはり、似通うほどに際立つ差異というものがある。諸文化の長い歴史が、そう簡単に消え去るわけがない。

最終日にはショーケースを踏まえたラウンドテーブルがあり、司会者が冒頭から「なぜ韓国のダンスは世界に認められていないのか、そもそも韓国のダンスは世界的な評価に値すると思うかどうか」を一人一人に聞きたいと切り出した。誰もが自分に判断を下す資格などない、と戸惑ってしまったので、最後に順番が回ってきたところで「そんなことが本当に問題なんだろうか」と混ぜっ返してみた。かつて土方巽は、なぜヨーロッパに行かないのかと問われて、舞踏が見たいなら日本に見に来ればいいじゃないかと答えたことがあるが、なぜあなた方はそんなに自国のダンスの売り込みに躍起になっているのか、この時代、見るべきものが韓国にあるなら世界中から人々が見に来るに決まっている、と。ここから「創作」と「流通」の関係をどう考えるのか、という壮大な議論が始まってしまった。

上に書いたように、単なる「商品」としての作品がグローバルに流通していく過程では、マイナーな「文化」は見過ごされるか、あるいは既存の市場の枠組に収まりやすいように脱色されてしまう。かといって、性急に韓国の特異性を強調してみたところで、陳腐なエキゾチシズムにしかならないだろう。商品経済の枠組で「文化」を語ることはほとんど無意味であり、そして語り得ないだけに「文化」というものの重みは一層増してくる。「作品」と「商品」が同一視される時、「文化」やその多様性が見えなくなってしまうのだとすれば、「文化」を殺さない「作品」とは究極的には「商品」に還元し尽くされないもののこと、すなわち特定の場所の特殊な文脈の中で生きているがために移動が困難で、したがって流通ルートには乗りにくい作品を指すことになる。そして外国(=ヨーロッパ)ではなく、韓国の人々にとって意味のある作品、韓国の人々の生活に深く結びつき、さらにその根底を震撼させるような恐るべき作品が生まれた時、人々の目は否応なく韓国へと向けられるはずだし、韓国製の商品を買うだけではなく、韓国の人々の生のありようを深く理解したいと考えるようになるだろう。

もっとも、ラウンドテーブルの客席に座っていた若い振付家の一人は、外国の評価など気にせず、もっと自分たちが興味のあることをやって行きたいと発言していたから、こうした議論自体そもそもどれだけ有意味だったのかもわからない。概して振付家たちが、大学で専門教育を受けているためか、論理的な言葉でしっかり考え、自己主張するのが印象的だった。

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アクラム・カーンをめぐる報道について(カタックとカタカリ)

まだまだ先の来年12月(2009年の12月)の話ですが、シルヴィ・ギエムとアクラム・カーンが共演する『聖なる怪物たち(Sacred Monsters)』の来日公演があるようです。

主催元からのDMに告知があったのですが、そこに、カーンは「西洋コンテンポラリー・ダンスとインドの古典舞踊様式「カタカリ」を融合」とありました。しかしこれは本来なら「カタカリ」ではなく「カタック」と書くべきところです。(実は2007年1月の初来日公演の時にも同じ間違いがありました。おそらくその時の情報を今回のDMのライターも信用してしまったのだと思います。)

ちなみに、カタック(Kathak)は北インド起源の古典舞踊で、幾何学的に構造化された空間を、大量の重い鈴をつけた足のステップや、腕の動き、体や顔の向きを駆使してキレの良い動きを見せます。そして何といっても見せ場は旋回です。
例えばこんなものです。
カーンはローザスの学校(PARTS)などで学んでいますが、コンテンポラリーと並行して古典カタックのリサイタルもやっています。カーンのダンスを見れば、カタックが巧みに応用されていることは一目瞭然といえます。

他方、カタカリ(Kathakali)は南インド起源の舞踊劇で、定型のあるキャラクターが「マハーバーラタ」などの物語を演じます。顔を緑色に塗った強烈なメイクなどが特徴的で、誰でもどこかで一度は見かけたことがあるのではと思います。
例えばこんなものです。
やや強引ですが日本でいうなら歌舞伎のようなものでしょうか。

誰にでも「間違い」というのはありますが、「知らないこと」をそのまま横流しするのは「無責任」だと思うのです。最低限、グーグルなどで検索して確認しようとするのが、情報を発信する者としてのモラルではないでしょうか?

例えば日本で「(マリウス・)プティパ」と「(ローラン・)プティ」が混同されることなど考えられないと思います。ところが「カタック」と「カタカリ」は混同されてしまうわけです。そこには情報の発信者の無意識的な選択、つまり何を重要と考え、何を重要でないと考えているかという「価値観」が反映されています。つまり日本のバレエやコンテンポラリーダンスの世界では、インドの古典舞踊の名称はバレエの振付家の名前ほどは重要でないと考えられているのだといわざるを得ない。どこか外国の記事で Kagura と書くべきところを Kabuki と書かれていたら、われわれはどう思うでしょうか。
アジアのダンスに対する日本人の認識について、改めて考えてしまう出来事でした。

参考:アクラム・カーンのカタック


エッセイ:横堀ふみ 「ダンス白州2008の現場から」

(Dance Asia ニュースレター vol.003より転載)

「ダンス白州2008」に行ってきた。
日焼け対策をすっかり忘れてしまい肌はみごとに焼け、足はブヨに数カ所も刺されてぶくぶくと膨れている。

今回の「ダンス白州2008」は、前々回のNews Letterにご紹介したように、ピチェ・クランチェンが、<Solo Dance>プログラムに参加することになり、マネージャーとして参加したのである。

まず始めに行ったことは、白州のどの場所で踊るのかを決めること。自転車をお借りして、山道を下っては上がり、道に迷いつつ、あっちこっち走り回った。
そして、収穫が終わりきれいに均されているにんにく畑を選んだ。さらにスタッフの方々のお力を借り一緒に畑をならした。
今まで数々の舞台で動いてきたが、このような経験は初めてである。

にんにく畑の真ん中に立てば、右を見れば山、左を見ても山、前にも大きな山がそびえ立ち、蝉の鳴き声や、風の音が聞こえ、土の匂いが漂ってくる。聴覚、視覚、触覚のそれぞれが刺激され、そして体が包まれていくような感覚。それらはピチェの身体を鋭く太く刺激し、そして作品のコンセプトをさらに明確にした。

そして我々は、リハーサルと並行しながら、見うる限りの<Solo Dance>プログラムを見た。よくぞここが会場になるのかと驚く程、いろんな場所でダンスが展開された。そして、よく頭に浮かんできたのが、昔々にどこかの本で見つけた言葉、「広場のまんなかに花で飾った一本の杭を立てなさい。そこに民衆を集めなさい、そうすれば楽しいことが見られるのです(ルソー『演劇について―ダランベールへの手紙』、岩波文庫)であった。

会場からダンスを発想すること、ダンスから会場を発想すること、それらの相関関係、共同作業の醍醐味をあじわった今回の「ダンス白州」の現場。
ふだんの生活に立ち戻った今、森下スタジオでのジェコとディックとの作業に、どんな可能性が潜んでいるのか、何を共に共有し立ち上げていけるのか、これからのやり取りへの期待に改めて胸を膨らませている。

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エッセイ:武藤大祐 「移動と場所」

(Dance Asia ニュースレター vol.002より転載)

この四月から群馬県立女子大学というところに勤務し、文学部でダンスの授業を担当している。週末には都内および近郊で舞台を見るために、だいたい真中あたりの埼玉に居を移し、大学へは高崎線で一時間強。

それにしても意外だったのは、学生の約半分が県内出身または在住なのに対し、残り半分のうち東北ないし北陸の出身者がかなりを占めている事実だ。山形や岩手、福島や新潟から、群馬へ。こんな「動線」が存在しているとは想像もしなかった。「東京へ行きたいとは思わなかったの」と聞くと、「関東へ出たかったが東京へは行きたくなかった」と答える学生もいて、わかったようなわからないような気分になる。ちなみに授業中、そういった学生の間からはバレエなどよりも神楽の話題の方が頻繁に出てくる。地元の芸能や文化、歴史に対する関心と知識があり、教わることがとても多い。いまのところ、群馬へ通うようになって最大のカルチャーショックは、このやや変則的な形での「東北」との遭遇といえるかもしれない。

よく知られているように、太田市や大泉町には多くの日系ブラジル人労働者が住んでいる(ポルトガル語をやっている学生に聞いたら、実家が客商売でブラジル人と接するから役立つとのことだった)。昨年出た、Z・シュン+F・タロッコ『カラオケ化する世界』(青土社)の中に、日系ブラジル人はブラジルでは「日本人」であり(または、そうあらざるをえず)、日本へ移ってくると今度は「ブラジル人」になる(または、そうあらざるをえない)、という興味深い記述があったが、おそらく授業で地元の神楽について語る東北出身の学生たちも同様に、多かれ少なかれ自らのアイデンティティを意識しているのではないか。

他者との接触が、自己への意識を生み出す――とりわけ社会環境の中で少数派であるほど、ルーツの記憶、アイデンティティへの意識が強まることは誰でも経験している。例えば見知らぬ土地で一人になったとき、自分が「どこ」から来て、今「どこ」にいるのかがにわかに思い返されてくる。そう考えると、まず先に「場所」があり、それゆえに場所から場所へと人が「移動」するのではないのかも知れない。むしろ「移動」こそが「場所」を(異郷を、故郷を)作り出す、というべきなのかも知れない。「移動」のないところに「場所」はないのではないか。

ところで9月に来日するインドネシアの振付家、ジェコ・シオンポも、パプアから首都ジャカルタへ出ることで「パプア」を「再発見」した人だ。生まれ育った地元の人々の身振りを、距離を置いて観察し、独自の振付言語を作り上げた。多文化主義と、文化人類学的な視点は、サルドノ以降のインドネシア・モダンダンスの大きな特徴であり、ジェコはその正統な嫡子といえる。多民族国家の多様なダンスを広く渉猟したサルドノを、「東北」を主題化した土方巽になぞらえてみることは不当ではないだろう。しかしジェコのような人は、今の日本ではなかなか思い当たらない。

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エッセイ:後藤美紀子 「お盆に誘う仮想アジアパフォーミングアーツの旅」

私が、初めてアジアの伝統芸能以外のダンスを見たのは、
93年に東京で行われた「JADE’93」のときでした。
そのころは、89年に渋谷に東急文化村が出来て、
シアターコクーンでダンスの公演が行われたり、
青山のスパイラルなどを中心に、
フランスのコンテンポラリーダンスの「輸入」が盛んに行われていた時期です。

それが、96年にパリで一枚のポスターを見たときから、
私のアジアにダンスに対する興味が湧き上がってきました。
それは、パリ市立劇場に貼ってあったエア・ソーラの公演のポスターで、
ちょうど、ベトナムが女性誌などで取り上げられるようになった頃だったので
「ベトナムのコンテンポラリーダンスの振付家?」と、
思わず立ち止まったわけです。
エア・ソーラは、ベトナム人の父とポーランド系フランス人の母の間に、
ベトナム生まれました。
このポスターをみた数日後、オランダのエージェントから、
本当に偶然に、紹介したい振付家がいる、ということで、
彼女の資料が送られてきたのです。

これもなにかの縁だと思いました。

97年には、当時私が勤務していた「東京国際舞台芸術フェスティバル」で
まずは、日本のアーティストや関係者との交流のために招聘し、
99年には、公演を招聘しました。

その後、香港芸術節やシンガポール・アーツ・フェスティバルなど、
何度かアジアのフェスティバルに足を運ぶようになり、
アジアのパフォーミングアーツシーンというものが、
少しずつ見えてきました。
その情報を、私、個人のブログで公開しています。

公の組織がリサーチをするのと違って、
各フェスティバルの感想などは、通り一遍の紹介でなく、
なるべく個人の実感を書き添えています。
また、全部、自費で行っている旅行でもあるので、
すべての国を体系的に網羅しているわけでもありません。
国内の公演でも、自分が興味をもったものを忘れないためのメモのつもりなので、
やはりすべての公演は網羅していません。
もちろん、個人の好みも反映しています。
時間がなくてかけてない、劇場の紹介もたくさんあります。
でも、1年半ほど続けてみたら、
かなりの情報量が蓄積されてきました。

情報というのは、抱え込んでは意味のないものです。
こうやって、情報を公開すると、
自然に外からの情報が集まってくるようになりました。

どうぞ、お盆休みの時間があるときに、
過去記事をさかのぼってみてください。
私、個人のパースペクティブを通したものですが、
アジアのコンテンポラリーな表現の現状が、
おぼろげながら、伝わるといいなぁと思っています。


エッセイ:武藤大祐 「タイの空港にて」

(Dance Asia ニュースレター vol.001より転載)

去年の8月、はじめてタイへ行った。2006年にオープンしたばかりのスワンナプーム国際空港に着いてみると、さすがに「アジアのハブ空港」を目指すというだけあって、本当に多様な地域・民族の人々が行き交っているのに驚いた。例えばオランダからヴェトナムへ、台湾から南アフリカへ、オーストラリアからキエフへ、といった具合に、あらゆる地域の人々があらゆる地域へ移動していて、ここがその中継地点になっているのだろう。入国審査の列でも、パッと見、同じような出自の人が何人も続かない。中華系の家族連れ、ターバンを巻いたビジネスマン、アメリカ人の観光客、アフリカ系の高校生のグループ、バティックを来たインドネシアの老夫婦……。要するにマジョリティというものがなく、それは別の見方をすれば、人々が絶えず縦横無尽に移動していて、世界に中心がなくなっていることの徴ともいえる。

数日後、成田へ戻り、地元の駅に着いて、バスを待っていた。夕方の帰宅ラッシュが始まる頃合で、自分のすぐ近くに、誰かを迎えに来た自家用車が停まり、後部座席の窓から犬が首を出した。この家のダンナが帰ってくるのが、この犬はうれしくて仕方ないらしく、狭い車の中を走り回っては、また窓から首を出し、甲高い声で吠えて呼んでいる。その時ふと、疲れて眠かったというのもあるだろうけれども、ぼんやりと、「この“人”は、こんな姿で、こんな風に生きているんだな」と思ってしまい、自分で軽いショックを受けた。体のサイズ、全身を覆う白い巻き毛、尾の活発な動き、声、顔の形――何もかもが独特だ。本当にバカバカしい話のようだけれども、タイで、あまりにも多様な「人」を見た後だったからだと思う。日本人とオランダ人とヴェトナム人の間の差異も、ヒトとイヌの間の差異も、質的には大して違わず、むしろ、そのすべてが同じ一つの「多様性」という系列の中の一部であるような、そんな感覚だった。

似たようなことを、最近は「大人」と「子供」の間についても感じる。だいたい、かつてのような意味で「大人」とよべる「大人」は消滅しつつあり、それと同時に「子供」なるものも、「大人」未満の存在としてではなく、固有のロジックをもった独自の存在として「市民権」を得つつある気がする。つまり子供<大人のヒエラルキーが自明でなくなり、例えば子供が大人に倣うのとまったく同じように、場合によっては大人も子供から学ぶことが少なからずあり(「童心に帰る」とかそんなことではなく、純粋にテクノロジーや文化の面でも)、そのことに何の違和感もない、といったような。しかしこれは、「成熟」の否定ではあっても、「成長」の否定ではない。むしろあらゆる方向に、多様な仕方で、変化することの可能性が、誰にとってもますます開けてきているということなのだと思う。

かつて「人種の坩堝」とよばれたNYなどの比ではない、新バンコク空港の混沌から、こんなことを考えた。

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