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◆◆◆INFORMATION◆◆◆
Dance Asia Kick Off Program
Encounter:
ジェコ・シオンポと
ディック・ウォン


上演・トーク
9月19日〜21日

WS
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終了しました

 

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エッセイ:横堀ふみ「滞在記:シンガポール、バンコク編」

(Dance Asia ニュースレター vol.013より転載)

 今はアメリカ、ニューヨークにいる。今回の旅の最終地点となる。一昨日着いたばかりなので、地理・生活感覚がまだよく掴めていない。

 さて、今回はアジアでの旅の最終章、シンガポールとバンコクの状況をレポートしたい。
 シンガポールへは、クアラルンプールからバスの乗って僅か五時間ほどで到着だ。多くの旅行会社が一日に何本ものバスを運行している。とても便利で快適だった。

 日本から持っていった東南アジア全般をカバーしたガイドブックを、どこかに置き忘れてきたらしい。出発直前に、バスの中で読もうと探しのだが見当たらず、これは困った。宿泊先のめどは若干つけて行ったつもりだが、土地勘もないまま入国。そして何軒かのホテルにあたったが、その高さに卒倒。まずはビジネスホテルに滞在し、ネットサーフィンしながら、安い物件を探す。(事前に予約しなさい!という話ですね、はい。)最終的にはアラブ・ストリートにあるゲストハウスに腰を据えることに。ドミトリーだったが、「住めば都」とはこのことで、同部屋の人達と他愛のない話ができて楽しかった。

 ここは、主要な美術館、劇場やアートセンターが街の中心地に集まっており、短時間で、ぐるっと歩いて見て廻ることができる。その中でも印象的だったスペースを三つ挙げたい。

●The Necessary Stage Theatre
シンガポールの中心地からバスに乗って30分程。マリン・パレード・コミュニティ・ビルディングの一角に、劇団The Necessary Stageの根城である小さな劇場がある。手頃な大きさのスペースで、稽古時には客席を省スペースでしまうことができたりと、使い勝手がよくなる工夫が随所に施されていて、居心地がいいブラック・ボックスだった。ここは、作品制作に集中する為の場所で、本公演はシンガポールの中心地にある劇場で行うとのこと。土地代の高いシンガポールは、日本と同じく稽古場状況が大変な模様。

●72-13
シアターワークスを率いるオンケンセンのスペースである。ここは真っ白に塗られている。ギャラリースペースと劇場(オルタナティブ・スペース)の二部屋がある。劇場の方は、長方形の余計なものが何一つない広く大きな空間。客席や舞台は、作品の内容によって自由に組み替えていく。ここは作品の構想を明確にし、戦略を周到に持っていないと使いこなせない印象。なかなか手強い空間であると感じた。

●The Substation
シンガポールの演劇界の父、クオパオクンが創設したアートセンターである。100席程の劇場と、スタジオ、ギャラリーが併設されている。どの部屋もとても丁寧に手入れが施されて、使う人々、スタッフの場所への愛情をひしひしと感じる。エスプラナードという大劇場、中劇場を兼ね揃えたセンターが近くにあるので、このスペースではトレーニング/プロセス/実験的な試みに力を入れている。

 今回の滞在ではどの空間でも実際の公演に立ち会うことができなかった。本当に残念。

 次は、バンコクに移動。旅の疲れが出てきたことと、滞在が一週間しかなく、あまり見て廻ることができなかったが、二つのスペースを挙げてみる。

●Crescent Moon Theatre
ビルの一角にある小さな劇場。60名も入れば、もう満席以上である。始めは劇団の事務所であったスペースを、今やパソコンがありインターネットが繋がれば、自分たちの為のスペースに作り替える方がいいのでは、ということで、改築を繰り返しながら現在に至っている。 大きな上演を一度行うより、よりたくさんの上演を実践しようということで、数多くの実験が繰り返されてきている。

●Pichet Klunchun Dance Studio
ここでも度々取り上げているピチェ・クランチェンのスタジオである。バンコクから車で30分ぐらいだろうか。ピチェの自宅に併設されている。二年前の夏にいちどお邪魔したが、そこからさらに様変わりしている。一階の稽古場の天井がぶち抜かれて、吹き抜けの空間になっている。居心地よく集中しやすい空間になるよう配置された様々なもの。この空間から、さらに力強い作品が生み出されていくことと思う。

 作品や表現が生まれ出る場所を中心に、アジア五カ国を巡った旅。
 次はニューヨークにある様々な場所を訪ね、レポートできたらと思っている。

(「Dance Asia ニュースレター」は月二回、1日と15日にメールで発行しています。購読ご希望の方は danceasia@gmail.com まで、件名を「ニュースレター配信希望」とした上で、お名前、ご職業・ご所属、メールアドレスを明記の上、お申し込みください。なお個人情報は、このニュースレターを送付する以外の目的には使用いたしません)


特別寄稿:TOGETHER HIGHER DANCE COMPANY 来日プレゼンテーション

山下陽子(舞台制作/コーディネイト)

(Dance Asia ニュースレター vol.011より転載)

 「ベトナムからユニークなダンスアーティストがやってくる」。
 日頃からつきあいのある江古田ストアハウス(東京)から、こんな情報が届きました。11月24日に紹介プレゼンテーションをおこなう由、当日、足を運びました。江古田駅前の古い雑居ビルの、細い階段を登った4階がストアハウス稽古場であり、今回の会場です。
 ハノイから来たLe Vu Long氏とLuu Thi Thu Lanさんご夫婦(以下、ロン氏&ランさんと呼ぶ)は共に30代半ば。ベトナム国立オペラ・バレエ劇場に所属する振付家でありダンサーです。
 この夜のプレゼンは、お二人が主宰する「Together Higher Dance Company」のドキュメンタリービデオを見るところから始まりました。
 …ハノイの街の喧騒。バイクで溢れかえる繁華街を抜け、カメラは一軒の刺繍工房へ入ってゆきます。熟練職人の一人が、Together Higherのメンバーなのです。次にカメラが向かうのは美容院。カラーリングの腕に定評がある彼女もまた、Together Higherのメンバーです。…

 ベトナム初のコンテンポラリーダンスグループ Together Higher Dance Company は、ロン氏とランさんにより2002年創立。12名のメンバー全員が聾者であり、以前よりダンス経験を持つ者は皆無です。
 グループ誕生のきっかけは、国立オペラ・バレエ劇場で定期的に創作をしているロン氏が、聾のダンサーによる作品「Together Higher」を上演したことにあります。当初は一回だけの企画のつもりが、出演者たちの熱意に促され、作品名をそのまま団体名としたカンパニーが生まれました。
 以後、年一作のペースで新作を国立オペラ・バレエ劇場にて発表。フォード財団、ブリテッシュ・カウンシル、各国大使館等からプロジェクトベースでの援助を得、ベトナムのみならずアメリカ、イタリア、タイ等海外公演も頻繁に実施しています。    

 ロン氏とランさんはボディランゲージと手話を交えてダンサーたちと創造作業をおこないますが、そのスタンスは「指導する」「振り付ける」という一方的なものではありません。「ダンサーたち自身が、からだの中から表現を探り出してゆく。僕らはその手助けをするにすぎない」とロン氏は語ります。
 とはいえ(ビデオで断片を見た限りではありますが)Together Higher の舞台は美しく洗練された、優れて完成度の高いものなのです。それはロン氏の構成力に負う部分は大きいでしょう。舞台美術、照明、音楽(もちろん出演者には聞こえません)、衣装等の要素が、十分に経験豊かとは言えないダンサーたちの動きを際立たせます。

 さらにこのグループの大きな特徴として、社会的アプローチの強さが挙げられます。大学・高校はもちろん、障がい児童施設や孤児院、刑務所、薬物中毒患者やHIV患者のリハビリ施設での公演やワークショップも彼らの重要なミッションです。
 聾者であることで社会から阻害されがちであったメンバーたちは、Together Higher への参加によって<生>にポジティブに向かい合う力を得ました。そして、今度はより多くの人々へ、その経験を伝えてゆこうとしているのです。

 彼らの活動を知るほどに、驚きが広がります。
 ベトナム初のコンテンポラリーダンスグループ。芸術性と社会性の両面を成り立たせ、経済的にも比較的恵まれ、国内外で積極的に活動。あらゆる点においてユニークでスペシャルな、幸運な開拓者たち。
 こうなるともう、彼らが聾者であるという事実も、些細なことのように感じられてくるのです。
 それはおそらく、Together Higher という集団の持つ強度が、「障がい者のダンスグループ」というカテゴライズを遥かに凌いでいるためでしょう。
 そう、Together Higher は、既存のどんな芸術団体とも似ていない、唯一無二の存在なのです。

 ロン氏とランさんの目下の目標は、自前のアートセンターを建てること。今回の来日は、そのためのアートセンターやオルタナティブスペースの視察が目的です。
 ハノイには民間の劇場・オルタナティブスペースはまだ存在せず、アーティストたちの発表の場は非常に限られています。劇場、稽古場、ギャラリー、教育施設が一体となったアートセンター「DANCELAND」。すでにハノイ郊外に土地を得、彼らの夢は着々と実現しつつあります。
 近い将来、こじんまりとした居心地の良い、芸術家による芸術家のためのスペースがハノイに誕生することでしょう。

(「Dance Asia ニュースレター」は月二回、1日と15日にメールで発行しています。購読ご希望の方は danceasia@gmail.com まで、件名を「ニュースレター配信希望」とした上で、お名前、ご職業・ご所属、メールアドレスを明記の上、お申し込みください。なお個人情報は、このニュースレターを送付する以外の目的には使用いたしません)


エッセイ:横堀ふみ「滞在記:マレーシア、クアラルンプール編」

(Dance Asia ニュースレター vol.011より転載)

 旅の最終地点に入った。

 現在はバンコクにいる。ここでもご飯がとても美味しい。胃があと二つほど必要だ。どの地でも去る時には、あの人に会えなかった、あそこに行けなかった、と悔やみながら発つのだが、ご飯に対する名残惜しさも果てしなく…。いずれ「ご飯ランキング」を作ってみようと思う。

 さて、クアラルンプールでの滞在が、前回のレポートで書いたように2週間を越えるものとなった。その後、シンガポールに1週間。その後、2日間だけ再びクアラルンプールに戻り、現在のバンコクに至る。この間、多くの関係者に会い、様々な話しを聞くことができた。まだそれらの話しを自分の体に落として咀嚼する時間が持てておらず、それは帰国してからじっくり行いたいと思っているので、ここでは印象的だったことを挙げてみたい。

 市内から離れたところにある「Rimbun Dahan http://www.rimbundahan.org/」というスタジオ、ギャラリー、レジデント施設を備えたセンターを訪れた。ちょうど私が行った時には、12月中旬に行われる公演の稽古の真っ最中。オーストラリアから振付家がレジデントし、現地のダンサーやパフォーマーが参加するというもの。公演直前ということもあり、緊迫感あふれる稽古場。稽古は、毎日のように朝から晩までみっちりと行われていた模様。多くの小道具や吊り物を使用する作品で、それらとダンスとの関わりを綿密に詰めていた。稽古場を転々としないといけない状況だと、この作品は成立し難かっただろう。このセンターは広大な敷地内にあり、稽古場のまわりには広場、ため池、プールなど、魅力的な空間が広がっている。ディレクターのビルキスは、来年はこの敷地内の様々な場所を存分につかったイベントを企画しているとのこと。とてもゴージャスなスペースであった。

 次は市内にある「Annexe Gallery http://www.annexegallery.com/」。もともとはオフィスだったスペースを複数のギャラリーに改造したスペース。天井は高く開放的な雰囲気をもちつつ、適度の緊張感が心地よい。ここの特徴は、美術の展示を行うだけでなく、映画の上映や、ワークショップ、ダンス公演も行われることもある。私は二度訪れているが、一度目はTV等のメディアに従事するディレクターのためのワークショップが行われていて、二度目は舞踏のレクチャー。桂勘さんによる英語での明解なトークだった。(勉強になりました)と、様々な表現や試みが、ここで交差している。マニラにある「Green papaya Arts Project(前回レポート)」もそうだったが、こういった多様な表現や出来事が同時に発生しているスペースには、面白い人が集まってくる。そして「facebook(mixiのインターナショナル版)」を介して、送られてくるイベント情報はどれも興味深く、目が離せない。

 ここで実感したことは、「こんなこと試してみたいねんけど…。」「本公演前に試作を上演してみたいねんけど…。」といった、試してみたい・やってみたいと思った時に、数多くの手続き、目眩がするような予算書なくして挑戦できる空間も大事だなぁということ。ここでは手厚くまた優しいケアは必要なく、自身で思考し・実践できる場所であること。それが、時には未知数100%の地点から可能性を引き出し、表現者やそれに従事する者を勇気づける。

 マレーシアの次にはシンガポール。バスでたったの5時間で移動できる。さてはて着いたところで宿泊費の高さに泣いた、シンガポールでの状況を次のレポートで書けたらと思っている。

 クアラルンプールでは、国際交流基金の島田さん、ジャーナリストのフレッドには、アテンドから様々な面においてお世話になりました。ありがとうございました。

(「Dance Asia ニュースレター」は月二回、1日と15日にメールで発行しています。購読ご希望の方は danceasia@gmail.com まで、件名を「ニュースレター配信希望」とした上で、お名前、ご職業・ご所属、メールアドレスを明記の上、お申し込みください。なお個人情報は、このニュースレターを送付する以外の目的には使用いたしません)


エッセイ:横堀ふみ「滞在記:フィリピン、マニラ編」

(Dance Asia ニュースレター vol.010より転載)

 今回の旅も後半戦に入った。あっという間である。

 現在、クアラルンプールに滞在中。当初の予定では、バンコクにいるはずだったのが、空港占拠と重なり、急遽、旅程変更。まさしく現在に開催されている「バンコクシアターフェスティバル」に参加することが主な目的だったので残念ではあるが、ここクアラルンプールで今後さらに発展させていきたい出会いが重なり、心弾む日々を過ごしている。

 さて、二週間前に滞在していたマニラ。約一週間だけであったが、濃厚な時間を過ごすことができた。マニラの前のインドネシア、香港、それらとはまた異なった様相を示すコンテンポラリーダンス・シーン。もっとも強く感じたのは、マニラでコンテンポラリーな表現とは「Be Independent」であることだ。表現のスタイルや様式ではなく、表現者としての姿勢や意志を示すものとして理解している。個々の表現を自らの手で生み出すことを大切にしつつも、振付家・ダンサー同士が相互に手を取りあいながら、シーンを引っぱっていっている模様。つねに様々な問題や要望を抱えながらも、前に向かっている強い力を感じた。

 今回、とくにお世話になったのが、振付家・ダンサーのドナ・ミランダ。昨夏のバンコクで行われたフェスティバル「Live Arts Bangkok」にて出会ってから、昨冬に京都で再会と、少しずつ親交を重ねて来た。彼女は、パートナーとともに、「Green Papaya Art Projects」というギャラリーとオルタナティブ・スペース、カフェを兼ね揃えたスペースをオーガナイズしている(http://papayapost.blogspot.com/)。ここでは、ビジュアルアート、ダンスなど様々なジャンルの催しが行われている、まさしく交差点のような場所。私の滞在期間中には、『想像の共同体』の著者であるベネディクト・アンダーソンの来フィリピンを記念するパーティが行われていた。来場者は、ダンス関係者、ビジュアルアート関係者、フィルム・アーティストなど多数が集まり、スペースから人が溢れんばかり。「Green Papaya Art Projects」を象徴するようなイベントであった。

 再びすぐにでも訪れたいマニラ。来年の7月か8月には、シーンをあげてのダンス・フェスティバルが開催される予定だと聞いている。ここには是が非でも駆けつけたいところ。

 そうそう、ここで出会った中でもっとも興味深かった振付家ジェイ・クルーズ。彼も私と同じACCグラントを頂いている。ほぼ同じ時期にN.Y.に滞在するので、今から楽しみで仕方がない。

 次のレポートでは、クアラルンプールでの出来事をお届けしたい。

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秋の中国コンテンポラリーダンス事情(後藤美紀子)

(Dance Asia ニュースレター vol.010より転載)

 数年前まで、中国のコンテンポラリーダンスと言えば、広州の舞踊団があるのみで、それもヨーロッパのコンテンポラリーダンスを見慣れた目には、グラハム・テクニックをベースにしたモダンダンスと思えるものしかありませんでした。そのほかに、舞台の上で見る舞踊としては、それぞれの古典舞踊を現代的な演出をしたものばかりで、私が2004年に上海の芸術見本市に行ったときには、海外で上演できそうなものはなかったのが実情でした。それが、中国で最初のインデペンデントのダンスカンパニーといわれる北京の「生活舞踏工作室(Living Dance Studio)」(http://www.ccdworkstation.com/)が、自分たちのスタジオを建てて、そこで継続的にワークショップを実施していくことで、作品を創る若手のダンサー/振付家が育ちつつあります。その発表の場として、彼らの主催で5月にはメイ・フェスティバル(May Festival)、9〜10月にはクロッシング・フェスティバル(Crossingn Festival)が実施されています。このフェスティバルの主催者は生活舞踏工作室ですが、それを周囲から助ける形で、今、ベルギーやオランダなどから資金が提供され、「ヤング・コレオグラファー・プロジェクト」という人材育成プログラムが実施されています。これは、春にオーディションで約8名のダンサーたちを選び、海外の振付家のワークショップや生活舞踏工作室の主宰者でもある振付家、ウェン・フイのワークショップなどに参加し、秋のクロッシング・フェスティバルと上海のフリンジ・フェスティバルで作品を発表させるというものです。今までと大きく違うのは、そういった支援が現地で活動をしている海外のNPOを通じて実施されている点です。つまり、政府対政府の関係ではなく、民間ベースの交流が始まっているということです。

 生活舞踏工作室のスタジオは、現代美術で有名な798ファクトリー(大山子芸術特区)の近くにあり、ウェン・フイの共同主宰者であるウェイ・ワングワンは山形ドキュメンタリーフィルムフェスティバルにも招聘されている映像作家でもあるので、春と秋のフェスティバルは、映像のワークショップやプログラムなども取り入れられています。そのため、単にダンスだけのフェスティバルというより、美術や演劇などとも接点を持ちやすい、ジャンルが開かれたフェスティバルであると言えるでしょう。実際、2005年に私が北京を訪れたときには、彼らの公演に日本でも有名な演出家の林兆華が見に来て、主宰の2人と終演後に感想を話し合っていました。インデペンデントのアートシーンの作家が少ないゆえ、ジャンルを越えたつながりが出来やすいのではないかと思いました。

 このような北京の秋に対して、上海では「上海国際芸術祭」(http://www.artsbird.com/)が毎年10月〜11月に実施され、同時に舞台芸術見本市も実施されています。フェスティバルは今年で、10回目を迎えました。ただ、これは非営利ベースのカンパニーの交流の場というより、上海市が主催しているフェスティバルだけあって、中国の演目は政府が公認している古典劇や舞踊、または、上記のようにそれをショーアップした演出で見せるようなもの、例えば、オーチャードホールで招聘しているような『アクロバット 白鳥の湖』のようなものが多く、また中華圏のポップスターのコンサートなどもあり、非常に商業的な性格のフェスティバルです。

 それに対して、2010年の万国博覧会を視野に入れてか、今年、「SHANGHAI e-ARTS FESTIVAL」(http://www.shearts.org/index.php/)というフェスティバルが実施され、主に建築とアート、テクノロジーの融合を謳い、サイトスペシフィックな作品が展示・上演されました。そのプログラムの一部として「Finalcut」というパフォーマンスのプログラムが10月18日から22日の5日間あったのですが、その中には2007年7月に大阪の「アジア・コンテンポラリーダンス・ショウーケース」(http://www.osaka21.or.jp/colabo/summer/2007/asiashow.html)にも出演したnunuも出演していました。このプログラムは、政府機関が音頭を取ってというより、北京方式で市の支援は受けていながら、NPOが運営主体となって実施されたものです。

 2010年のエキスポのパフォーミングアーツのプログラムをどこが担当するかなどのうわさも聞こえてくるようになりました。中国も、少しずつですが、確実に変化をしてきているようです。

 なお、中国のコンテンポラリーダンス事情については、「第3回ITIアジアダンス会議」の参加者であるヘリー・ミナルティが現地調査の結果をまとめてウェブ上で公開しています。(http://tubuhtarikontemporer.multiply.com/ 左のツールバーの一番下)興味のある方は、ぜひお目通しください。

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エッセイ:横堀ふみ「滞在記:インドネシア編」

(Dance Asia ニュースレター vol.009より転載)

 ACC(Asian Cultural Council)のフェローシップを頂いて、アジアを各地をめぐる旅、現在はマニラに滞在中である。
 今回の旅は、過去にNPO法人 DANCE BOX のプログラムに招聘したダンサー達が道しるべだ。実際に彼らのホームグラウンドを訪れ、稽古場、時には公演にお邪魔し、そして数珠つなぎのように友人(関係者)を紹介してもらい、彼らの話に耳を傾ける。
 大阪で出会った彼らのダンスの、その土壌が見え、次に彼らの尊敬する人々、同士、友人らの数々のつながりに出会い、その中から表現が立ち上がっていく、そのダイナミックな連鎖を目の当たりにする至福な時間が続いている。

 断片的ではあるが、Dance Asia でこの夏に招聘したジェコ・シオンポ、そして DANCE BOX で過去二回招聘しているエコ・スプリアントをめぐって、少し書き記したい。

* ジェコ・シオンポ
 ジェコに会いたいと思えば、ジャカルタの中心にほど近い、IKJ(インドネシア芸術大学)が入っているTIM(タマン・イスマイル・マルズキ)の一角のカフェに行けばいい。
ジェコは始終そこに居座り、仲間たち、いや彼のカンパニーのメンバーとたわいのない話しをしているかと思えば、まじめにダンス談義をしたりしている。夜になれば、道端で、時には大学のリハーサル室で稽古している。
 彼のカンパニーのメンバーは、パプア出身の人もいれば、生粋のジャカルタっ子、様々な地方や島から集まってきている。貧しい人も富んでいる人も、みな一様に稽古をしている。ここでは大阪であまり見ることのなかったジェコの親分肌に驚いた。とても懐深く、さりげなくメンバーの面倒を見ながら、まだ若いメンバーが自分の足で人生を歩いていけるよう、多くの機会を与えている。
 メンバーはそれぞれにギラギラしていて、ジェコのスタイルを踏襲していながらも、自分が一番かっこよく見えるダンスを日々追求、ここは動物園ではないかと思う程、強い個性をもったダンサー達の集まりであった。

* エコ・スプリヤント
 彼は古都ソロを拠点とし、古典宮廷舞踊をルーツにもち、コンテンポラリーダンスに取り組んでいるダンサーだ。彼はソロにあるISI(芸術大学)で教鞭をとり、自らのカンパニーを動かしている。そのメンバーの多くはISIの現役生か卒業生で、彼らのほとんどがエコと同じく古典舞踊をルーツにもっている。
 彼らは自身のルーツをとても大切にしていて、彼らにとってのそのルーツとは、回帰する場所であり、ここからなんでも作り出せる始まりの場所であるように感じる。ここでは、古典も、同時にコンテンポラリーでもあるのだ。
 またソロには、魅力的な振付家やダンサーが多い。その印象は、余計なものが削ぎ落とされた非常にシンプルな振付で構成されている。ただ、飽きることなく見続けていられるのは、古典舞踊がもっている豊かな振付言語に培われた身体があるからだろうかと思う。

 ジャカルタにしろ、ソロにしろ、芸術大学の存在がとても大きく感じる。ジェコをはじめ、大学内で遅くまで稽古をしていて、門限はないようだ。大学内に劇場があるので、そこを使って自分の作品を上演したり、とても自由度高く大学の施設をフル活用しているように見受けられる。そして、仲間や先輩がいることだ。

 次は、マニラのレポートをお届けしたい。

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ジェローム・ベル『ピチェ・クランチェンと私』(横浜トリエンナーレ)

 国際美術展「横浜トリエンナーレ」の一環として、フランスの振付家、ジェローム・ベルとタイの振付家/ダンサーのピチェ・クランチェンの作品『ピチェ・クランチェンと私』が、11月1日、2日に、横浜赤レンガ倉庫1号館で上演されました。この作品は、二人のアーティストが舞台上に向き合って座って対話をして、それぞれのダンスや方法論、ひいては「コンテンポラリーダンス」とはなにかというダンス観を見せていくという二人のやり取りそのものを舞台作品としたものです。2005年にバンコクで初演され、それ以来、世界各地で上演されてきました。それが誇張でない証拠に、私は、2006年にチュニジアで一度公演を見ており、今回も数日前には武藤たちが参画していたインドネシア・ダンス・フェスティヴァルで上演されていました。

 この一風変わった作品、すなわちフランス人のコンテンポラリーダンス界の中でも既成のテクニックの組み合わせで作品をつくることに疑問を抱いたジェローム・ベルと、タイの古典仮面舞踊劇、コーンを16年間修行していた「コテコテの」古典舞踊手、ピチェの二人を出会わせてみるという発想の裏には、「第3回ITIアジアダンス会議」にも参加してくれたキュレーターのタン・フクワンという仕掛け人がおり、この作品は彼の委嘱によりバンコク・フリンジ・フェスティヴァルで初演されたものです。
 
 舞台には、椅子に座って向き合った二人。まず、ジェロームが英語で、ピチェに質問をしていきます。「あなたの名前は?」「どこに住んでいるの?」「何歳?」「職業は?」。「I'm a dancer」という答えに、ジェロームが「どうしてダンスを始めたの?」と質問を重ねていき、ピチェのダンス人生が語られ始めます。この作品は、舞台上の二人が向き合って座っているため、客席の作り方によって、二人の表情を同時に捉えるのはむずかしいのですが、私は、一日目は下手でジェロームの表情を見て、二日目には上手でピチェの表情を堪能しました。一体、今までこの二人は何度同じ質問をしあったのだろうと思うのですが、ジェロームの表情が秀逸で、その質問をまるで初めて聞いたかのように、それも感情を思いっきり顔に出して、「ああ、なるほど」といったような顔つきで聞いているのです。こういうところは、元フランス在住者の私としては、非常にフランス人的だなぁと思います。顔の表情がくるくる変わる。ピチェにコーンを習うシーンでは「ぼくは、初めてやるんだからね」と言いながら、不器用にピチェのポーズを真似るのですが、この「初めてなんだからね」というせりふを彼は何度言ってきたことでしょう?けれども、それがわざと下手に演じているとも見えず、観客はごくごく自然にそのことばを信じてしまうのです。

 ピチェはと言えば、自信たっぷりのいつものピチェらしい、迷いがないスパっとした答え方をするのですが、それが段取りに見えません。最初に創ったときは、まず、即興から始めて、だんだん形にしていき、現在では、枠組みは決まっているものの、毎日違った質問が出たりするため、互いに気が抜けないことが、作品としての新鮮味を保っている秘訣だそうです。実際、一日目の終わりに「明日は、別バージョン期待しているからね」と私が、わざとプレッシャーをかけると、ジェロームのせりふに前日にはなかったものが付け加わっていて、終演後「ほら、あの部分、昨日はなかっただろ?」と鼻高々でした!

 このようなプレゼンテーションの方法に加え、やはりこの作品の本質は、それがダンスの本質について論じているところでしょう。ピチェへの質問が一通り終わると、今度はジェロームが、「ぼくについてもなにか聞きたいことある?」と促し、「ぼくも踊ったんだから、君も自分のダンスを見せてよ」と言うと、「ぼくは振付家であって、ダンサーじゃないから、専門家じゃないんだからね」と言い訳しながら、自分の作品に必ず出てくるというお気に入りのシーンをやってみせます。それは、『The Show Must Go On』という作品の中に出てくるデヴィッド・ボウイの曲『レッツ・ダンス』をかけて、ただ観客の前に立ち尽くし、じっと観客をなめるように眺めていき、歌詞が「レッツ・ダンス!」となったところで、まるで自分の部屋の中で曲を聴きながら、身体をゆすってみる程度のダンスをしてみせるというものです。ジェロームがピチェに「ダンスにはなにが不可欠か考えた、なんだと思う?」と問うと、ピチェは「からだ」と答えます。「ビンゴ!」ということで、それを表したシーンなのだそう。ダンサーが特権的な身体や技術を持っていて、観客がそれを賞賛するという「ヒエラルキー」を壊し、ダンサーと観客を対等な関係にしたい。このように、ダンスについて考える上で示唆的なことばがたくさん詰まっていながら、それが頭でっかちにならず、どこか人をくったようなとぼけたジェロームの雰囲気が、ユーモラスでもあり、「お勉強」に陥ることから救っている気がしました。ただし、日本での公演は、カンパニーの強い要望により、イヤホンガイドの同時通訳で行われたため、観客が耳から情報を得ることに一生懸命になってしまい、見ることや本人たちのことばのトーンで分かるユーモラスさを少ながらず逃していることが残念でした。けれども、私は実際に一度この作品を招聘しようとダンスのプロデューサーにかけあったことがあり、そのときには、「ダンスの観客にはこんなせりふの多いものはむずかしい」と一蹴されたという経験があるため、やはり横浜トリエンナーレという「ダンス」とは違った枠組みの中でこそ、実現した公演なのではないかと思います。

 最後に、正に「世界初演」となったハプニングをひとつ。二日目の舞台で、上演中にピチェが質問する立場のとき、「ちょっと、トイレ行って来ていい?」と言って、ジェロームひとりを舞台に残し、本当にトイレに行ってしまったのです!終演後、ジェロームに聞いたら、こんなことは初めてで、自分は待っている間舞台上でたばこのような小道具もなく、もう、どうしようかと思った、とのこと。それは、こんなハプニングさえも織り込んでいけるほど、作品としての屋台骨がしっかりしていることの証明でもあり、また、ピチェの作品に対する信頼が伺えた出来事でした。

(後藤美紀子)


インドネシア・ダンス・フェスティヴァル公演評

『Sunday People』(マレーシアのウェブマガジン)
クアラルンプール在住の Fred Lim 氏によるレヴューが出ました。鈴木ユキオ、手塚夏子をはじめ、いくつかの作品について書かれています。

Moving Expectations

なお写真のキャプションにミスがあります。上の写真は、左がピチェ・クランチェン、右が鈴木ユキオです。


エッセイ:武藤大祐 「商品と文化――韓国のダンスについて考えたこと」

(Dance Asia ニュースレター vol.008より転載)

ソウル国際ダンス・フェスティヴァルの一部として開催された「ソウル・パフォーミングアーツ批評家フォーラム(SPAC - Seoul Performing Arts Critics Forum)2008」に、日本からの参加者として出席してきた。他の参加者は、Rosita Boisseau(フランス)、Thomas Hahn(ドイツ/フランス)、Donald Hutera(イギリス)、Jiang Dong(中国)、Kim Tae-won(韓国)、Philipa Rothfield(オーストラリア)、Merav Yudilovitch(イスラエル)ほか。自分だけあからさまに若輩者で場違いな感じもしたが、特に Boisseau はル・モンドなどの記事でたまに読んでいたし、会えて嬉しかった。SPACはCID-UNESCOの韓国センターの主催によるもので、今回が初開催。五日間の日程は、フォーラムやショーケースのほか、韓国の伝統芸能を実体験したり、教育機関の見学など多彩なプログラムが満載だった。

韓国は今回が初めてで、知っているつもりで案外知らなかったこと、意外に日本と共通していること、そして似ているだけにかえって細かな違いが際立つことなど、異文化経験を味わった。とりわけ仏教のお寺などは、いわゆる観光客向けのツアーだったので、ヨーロッパ人にはともかく自分にはつまらないだろうと思っていたが、同行していた文化振興の専門家から「むかし奈良に旅行した時、百済の時代の文化が残っているのを見て本当に感動したよ」という話を聞いた瞬間、何か違った視野が広がってくる気がした。日本と朝鮮半島の交流史の関係については小中高の義務教育で教わるが、無味乾燥な「情報」に過ぎず、暗記して試験で点をとればあとは自分に何の関係もなかった。修学旅行で京都や奈良に連れて行かれたところで、いたずらに見慣れてしまうだけで、かえって感覚が鈍麻するばかりだ。それが突然、自分にとってのリアリティとして立ち現れてきた。今までと違った角度から現実を見る一つの手がかり。これだけでも今回来た甲斐があったと思った。東アジアの文化史に造詣の深い中国の Jiang Dong と一緒に見て回れたことも大きかった。

他方、ショーケースでは8組の上演があった。コンテンポラリー作品は、今まで日本で見ていたものに比べてダンサーの数が多く、規模が大きかったが、作品自体はそれほど違わないように思った。しかし数日間、韓国で過ごし、韓国の人々と接していたために、自分のものの見方の方が変化していた。ほとんど「無邪気」とでもいいたくなるほどのテクニック信仰、衒いもなく最大限に発揮される肉体的エネルギー、きわめてわかりやすく誇張された演出などといったものも、ある特定の環境の中で(社会や文化、歴史、人々の気質、食生活、教育、メディアなどとの連関の中で)生み出され、受容されているものとして違和感なく受け止めることができた。こうした作品だけを文脈から切り離して東京の舞台などにかければ「浮いて」しまうことも当然に思える。コンテンポラリーダンスには言葉の壁がない、とまことしやかに言われるけれども、それだけになおさら、グローバルな流通の過程で見えにくくなったり、切り捨てられてしまう要素、すなわち文化的差異やローカルな文脈といったものに対して、われわれはもっともっと関心をもつべきだろう。たとえ世界中が均質化しているように見えたとしても、そこにもやはり、似通うほどに際立つ差異というものがある。諸文化の長い歴史が、そう簡単に消え去るわけがない。

最終日にはショーケースを踏まえたラウンドテーブルがあり、司会者が冒頭から「なぜ韓国のダンスは世界に認められていないのか、そもそも韓国のダンスは世界的な評価に値すると思うかどうか」を一人一人に聞きたいと切り出した。誰もが自分に判断を下す資格などない、と戸惑ってしまったので、最後に順番が回ってきたところで「そんなことが本当に問題なんだろうか」と混ぜっ返してみた。かつて土方巽は、なぜヨーロッパに行かないのかと問われて、舞踏が見たいなら日本に見に来ればいいじゃないかと答えたことがあるが、なぜあなた方はそんなに自国のダンスの売り込みに躍起になっているのか、この時代、見るべきものが韓国にあるなら世界中から人々が見に来るに決まっている、と。ここから「創作」と「流通」の関係をどう考えるのか、という壮大な議論が始まってしまった。

上に書いたように、単なる「商品」としての作品がグローバルに流通していく過程では、マイナーな「文化」は見過ごされるか、あるいは既存の市場の枠組に収まりやすいように脱色されてしまう。かといって、性急に韓国の特異性を強調してみたところで、陳腐なエキゾチシズムにしかならないだろう。商品経済の枠組で「文化」を語ることはほとんど無意味であり、そして語り得ないだけに「文化」というものの重みは一層増してくる。「作品」と「商品」が同一視される時、「文化」やその多様性が見えなくなってしまうのだとすれば、「文化」を殺さない「作品」とは究極的には「商品」に還元し尽くされないもののこと、すなわち特定の場所の特殊な文脈の中で生きているがために移動が困難で、したがって流通ルートには乗りにくい作品を指すことになる。そして外国(=ヨーロッパ)ではなく、韓国の人々にとって意味のある作品、韓国の人々の生活に深く結びつき、さらにその根底を震撼させるような恐るべき作品が生まれた時、人々の目は否応なく韓国へと向けられるはずだし、韓国製の商品を買うだけではなく、韓国の人々の生のありようを深く理解したいと考えるようになるだろう。

もっとも、ラウンドテーブルの客席に座っていた若い振付家の一人は、外国の評価など気にせず、もっと自分たちが興味のあることをやって行きたいと発言していたから、こうした議論自体そもそもどれだけ有意味だったのかもわからない。概して振付家たちが、大学で専門教育を受けているためか、論理的な言葉でしっかり考え、自己主張するのが印象的だった。

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第9回インドネシア・ダンス・フェスティヴァル(IDF)閉幕

ジャカルタで隔年開催されている国際フェスティヴァルが無事閉幕。10月28日(火)〜31日(金)の五日間、公演、WS、インスタレーション、ディスカッション、映画上映など充実した内容でした。

前回までに比べてやや規模が小さくなりはしたものの、見るべきものは少なくありませんでした。インドネシア勢では、初日、若手のレトノ・スリスティヨリニが発表したトリオ作品。彫像のような身体や、巨大なバティックの布をさまざまな仕方で見せるなどしながら、ジャワ特有の暗く神秘的なイメージを強烈に、かつ自由な発想で展開していました。また最終日のハルタティは、五人の女性ダンサーによるポップな作品で、とりたてて伝統的な要素が見当たらず、むしろ日常の身振りや演劇的な所作によって構成されているのが新鮮でした。ほかに、映画監督ガリン・ヌグロホが『オペラ・ジャワ』の一部を舞台用に翻案した大作“Iron Bed” が呼び物となっていました(マルティヌス・ミロト、エコ・スプリヤントが映画そのままの役柄で好演)。

日本からは、武藤キュレーションによる“3 Solo Dances”=神村恵、鈴木ユキオ、手塚夏子が参加。イタリアのカンパニー「MK」とのダブル・ビルで上演されました。とにかく舞台と客席の距離が近い親密な空間が必要だというリクエストを出し、新しくできた Theater Luwes をアリーナ式に使って、床上のアクティングエリアを三方から客席で囲む形にしてもらいました。席数は150の予定だったのですが、開場してみると超満員で、桟敷にもたくさん座ってもらうことになり、何だか日本でダンスを見る時の雰囲気をそのまま空輸してしまったような雰囲気でした。上演も大変な盛り上がりを見せ、三作品を通して「身体の探究」というテーマが明確に浮かび上がったようです。

またジェローム・ベル(フランス)&ピチェ・クランチェン(タイ)の『ピチェと私』は、ジェローム本人にも「今までで最高!」と言わしめるほど熱狂的に迎えられました。異文化を知ることを通じて、自分の文化を知り、その外部に立ってみることで、まったく新しい可能性の地平が開けてくる、そういう刺激を与えてくれる素晴らしいパフォーマンスであり、しかも二人の言葉や身振りのやり取りそのものが絶妙な「ダンス」になっているのです(ジェローム・ベルはよく「ノン・ダンス」などと称されますが、見当外れだと思いました)。文化の多様性に対して敏感なジャカルタの観客だからこそ、笑いや拍手などリアクションが絶えなかったのでしょう。その場に居合わせたこと自体が幸福な経験でした。

近年はインドネシア各地でフェスティヴァルが開かれるようになっており、必ずしもジャカルタに求心力はなくなっているとのことですが、IDFのように国際的なフェスティヴァルは多くないようです。実をいえば、今回は企画の始動が遅れたために実現できなかったことがたくさんありました。タン・フクワン(シンガポール)や武藤を含め、実行委員会メンバーが顔を揃られる機会はなかなかないので、次回のための一回目の会合を開いてしまおうと提案し、会期半ばにして早くも反省会、および今後の進め方について話し合いました。2010年はIDFも第10回。記念の年へ向けて、もう動き出しています。



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